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ドラッカー名言録

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   ●ドラッカー名言録

ドラッカー名言録37 

 「すべての文明、あるいは国の中で、日本だけは、目よりも、心で接することによって理解できる国である」

  これまでの名言は、主として経済や経営や労働に関するものであったが、今回はやや趣を変えて、もっと広くドラッカーの日本観や日本の見方についての一文をご紹介することにしたい。
表記の文筆は、もういまから四〇年ほど前にドラッカーが語った日本美術をめぐる評論から採録したものであるが、ドラッカーの日本を観る目の一端が実に鋭く表現された言葉であるといえよう。
 若き日のドラッカーは、ナチズムの圧迫を逃れ、オーストリアからロンドンに渡り、そこで「二つの恋をした」と語ってくれた。
 その一つはいまの奥さんのドリスとの出会いであり、もう一つが実は日本美術、特に江戸時代の美術への開眼であった。
 本年六月、カリフォルニア州クレアモントのご自宅を訪れた際に、同行した友人の奥さんが最近の雪舟の画集を持参したところ、やや体調がすぐれていないにもかかわらず、顔をほころばせて、「これは、これは……」と喜んでおられた。それも七〇年以上に及ぶ日本美術への傾倒の表われであるといえよう。
 そしてドラッカーは、日本人の「純粋な喜びを素直に受け入れる知覚能力」を、まず第一に、その「心」の一つとして指摘する。
 第二に、自発性、自立性、個性の発揮と、社会と自分を合わせることへの圧力とをいかに調和させるかというところに「心」のあり方を見いだす。
 江戸時代末期に酒井抱一が若いころ、画家の谷文晁に弟子入りしたにもかかわらず、もっといい尾形光琳の絵を学ぶようにと助言したエピソードを挙げてこう言っている。
 西洋の偉大な教師ならば、このような才能に恵まれた若者に対しては、「自分に合ったスタイルを見いだせ」と言うはずだが、日本では、「まず自分に合った流派を探せ」と言う。これが自我と社会の調整の一例だとしているのである。
 第三に、日本人の美意識の心の中には、日本と外の世界との関係を感じ取ったり理解する方策として興味深いものがあるとする。それは、感受性そのものと、それが受け入れたものを改良したり、自家薬籠中のものと、それを乗り越えてベターなものを生み出そうとする心の両方の動きだとする。それは、また「日本をより日本的にするものを、日本的人間関係に適したものを、日本のユニークさの内的体験に沿ったものを残そうとする」あり方でもあるという。
 そして「こうした日本の伝統の中に根づく知覚や心は、日本の近代社会や経済活動の発達の根底に大きく横たわっている」ことを見抜くのである。 

   

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